1回目の退職

ブラック企業編①
スポンサーリンク
  • 繰り返しからの毎日から逃げ出したい
  • 渡りに船
  • 意を決して
いまぼく
いまぼく

こんにちは。いまぼくです。

かこぼく
かこぼく

こんにちは。かこぼくです。

いよいよブラック企業から脱出するときやな!

よかったー

いまぼく
いまぼく

そう、1回目の退職です。

次がブラック企業じゃないとは限らないけどね。

かこぼく
かこぼく

おいっ!

次もブラック企業かよ!

いまぼく
いまぼく

ちょっとタイプは違うけどね。

それでは1回目の退職編です。

よろしくお願いします。

繰り返しからの毎日から逃げ出したい

チーム崩壊を経験してからしばらくして2回目のチームリーダーを任せてもらい半年ほどはチームの成績もよく比較的チーム運営は順調にいっていたように思いました。給料も同年代よりもよく、隔週で土曜が出社だったとはいえ悪くない水準だったと思います。

それでも、毎日テレアポして、営業に行って、受注するか詰められるかどちらかの単調な毎日に嫌気がさしていました。特に失注時に1時間も2時間も無駄に詰められることには本当に嫌気がさして何度か失注報告の電話をせずに飛ぼう(なんの相談、報告もなく退職すること)かとも思っていました。

当時のぼくは今でいう意識高い系で、営業に向かう電車の中では日経ビジネス、ダイヤモンド、東洋経済、残念ながら休刊になってしまった日経アソシエなどビジネス誌を読み込んでいました。ビジネス誌が発売されていない日には経営書やベンチャー本などを読んでいました。今のように通信環境が整備されておらず、スマホがなかったので雑誌や書籍で電車の中で情報を仕入れていたように思います。

2000年代前半はオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)やサイバーエージェント、楽天をはじめとしたITベンチャーが勃興しているタイミングでした。「ヒカリモノ」と呼ばれる光通信から出資を受けた企業が最年少上場記録を次々と塗り替えたのです。そんな「ヒカリモノ」の中でも人一倍、天国と地獄を経験したのがクレイフィッシュ(のちのe-まちタウン)の松島庸氏だと思います。

そんな松島庸氏の著書「追われ者-こうしてボクは上場企業社長の座を追い落とされた」で詳しく記載されているので興味のある方はぜひ読んでみてください。史上最年少でマザーズ、NASDAQ同時上場を果たした後にわずか1年ちょっとで会社を追放されるというジェットコースターとかいうレベルじゃない勢いで人生が乱高下していきます。この追放劇にはライブドア事件でも有名な村上ファンドも登場します。

出典:ブックオフコーポレーション株式会社

少し話はそれてしまいましたが、ITベンチャーでぼくとそこまで大きく年齢差がないにも関わらず、活躍する姿に憧れや勝手に焦燥感を感じていました。いま思うと身の程知らずで思いあがっていたなあと思います。それでも、当時のぼくとしては真剣に悩んでいたように思います。

渡りに船

単調な毎日を過ごしながら悶々としていたある日、一足先に退職していた先輩から連絡があり会おうということになりました。

要件は新しい会社でホームページ制作の部署を作るから1から一緒に作らないかという誘いでした。

ぼくなりにオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)などのIT企業の求人情報を調べており、転職のタイミングを狙っていましたが、事業部を作るという耳障りの言い文句と詰められる日常に嫌気がさしていたぼくは渡りに船とその会社のことや経営陣のことを何一つ調べることなく飛びついてしまいました。いま思うと本当に浅はかでした。

手にした新会社での情報は月給28万以上。アホすぎました。

ちなみに当時のオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)の待遇は年収400万以上、パソコン支給のみで福利厚生は一切存在せず、成果を上げれば給料が上がるという非常にシンプルな内容でした。

この誘いがなければオン・ザ・エッヂ(のちのライブドア)に応募するつもりだったのですが、今でも応募して採用されていたらどうなっていたかなと考えても仕方がないことをふと思ったりします。後悔というよりも急成長からのライブドア事件、そしてLINEへと続く復活までの軌跡をこの目でみて、経験してみたかったなあという怖いもの見たさにも似た願望のようなものかもしれません。

スポンサーリンク

意を決して

転職の話をもらって1週間ほどは検討しましたが、当時のぼくは現実から逃げることが最優先事項となっていたので、断るという選択肢はありませんでした。

話をいただいた先輩には1週間後にお世話になりますと回答し、いつから来れるのかという話に進んでいきます。

あとはどのタイミングで会社に退職の意向を伝えるかという問題だけとなっていました。

嫌気がさしたとはいえお世話になった会社です。営業というものを1から叩き込んでくれて、チームを崩壊させたぼくにセカンドチャンスを与えてくれた会社です。愛着がないかといわれるとないわけがありません。嫌な思い出が9割を超えますが、感謝していることも数え切れません。

それでも退職の意向を伝えないと次に進めません。次の会社に誘ってくれた先輩からも「退職日は決まったか」と連日のように催促がきます。

勝手に板挟みになったぼくはついにマネージャーに退職の意向を伝える決心をします。退職を伝える場所は会社では恒例の退職部屋と呼ばれるMTGルームで行われます。

退職部屋にマネージャーと誰かが入るとみんなが「あぁ、退職するんだ」と察する部屋です。

退職の意向をマネージャーに伝えると意外なことに引き留めてくれました。みんなから聞く「そうか、お疲れ」ではなかったのです。今まで退職された先輩からは退職の意向を伝えるとマネージャーは引き留めないと聞いていたのでかなり意外でした。

しかし、先輩から次の会社の入社時期をせっつかれ切羽詰まったぼくは引き留めには応じずに最短での退職を希望しました。有休もすべて捨てたと記憶しています。このマネージャーとはいまでも1年に1度程度はお会いすることがあり、退職後も本当にかわいがってくださっているのでこの時のぼくに戻れるなら「もう一度考え直せ、誘ってくれた先輩に謝って今の会社に残るという選択肢もあるぞ」と伝えるかもしれません。会社に残ることが正解かどうかはわかりませんが。

1時間程度話したのでしょうか。正直あまり記憶に残っていないのですが、わりと長く話したような気がします。しぶしぶ退職を受け入れてくれたマネージャーは「次もがんばれよ」と送り出してくれました。

1年程度の短い在籍期間ですが、ぼくの1回目の退職が決まりました。転職を繰り返すことは悪いことだとは今でも思っていません。ただし、安易な逃げの転職だけはするべきではないということだけは間違いないと思います。今回の転職は間違いなく逃げのするべきではない転職でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました